2014年5月16日金曜日

I-4 「なぞなぞ」(3)

敷石
 尻をかたどった石の塊のようなものはパリの街路の敷石である。この点について詩句は「背骨の下、仙骨のあたりに、ルーヴルの墓所からとってきた敷石が2個見える」とある。パリの敷石は7月革命のバリケードをつくるのに使ったことから、もともと革命の象徴となっていた。では「ルーヴルの墓所からとってきた」とはどういうことか。これはおそらく革命の3日目の7月29日にパレ・ロワイヤルやルーヴルで激しい戦闘があったことと関係している。ルーヴル宮には7月革命の戦死者たちの墓が置かれ、多くの参拝客を集めていたいたという(宮殿をを守っていたスイス傭兵たちの墓もあったようだ)。記念として敷石も置かれていたのだろうか。

 そこには自由のために死んだ者たちを哀悼する墓銘碑が多く飾られていた。「英雄よ、安らかに眠れ。あなたの霊を鎮めるために、息子は復讐するだろう。あるいは、父に続いて戦いに出た息子が数で敵に押しつぶされるならば、あなたの例にならって、彼も死ぬことになるだろう」「あなたの勇敢さを誇らしく思う妻は、いまだ寡婦のまま、あなたのおそばにおります。あなたが法を強固なものにするために亡くなったことに思いを馳せながら、この厳しい試練の仕打ちを耐え忍んでおります。」などなど。

 ルイ=フィリップはその墓所から象徴となる敷石を盗み、尻に当てるという非道な振る舞いをしている。革命を軽んじ、犠牲者を馬鹿にしているというわけだ。
 
放水器
 脚は浣腸器になっている。詩句では「浣腸器を履いて、わたしは、注射針の曲がったところを踵のかわりにして、後ろ向きに動かす」と書かれている。この浣腸器は、1831年5月5日から8日にパリで大規模なデモが行われたとき、鎮圧のために初めてパリ消防隊の放水器が使われたことを指している。なぜ「浣腸器」で描かれているかといえば、放水器にスカトロジックなイメージを与えるためであるが、そもそも浣腸器はフランスの伝統的な医者喜劇で使われる必須アイテムだった。

『カリカチュール』1833年12月5日号. 右端がロボー将軍

 この鎮圧の指揮をしたのが、パリ国民軍総指令長官のロボー伯爵だ。この事件以降、諷刺画に現れる浣腸器はロボーのアトリビュートとなる(ロボーと浣腸器については、項を改めて紹介しよう)。1830年12月、共和派に寛容なラファイエット将軍に代えて、強硬派のロボー将軍をパリ国民軍総指令長官に据えたこと、そして政府が放水器でデモ隊を蹴散らすような断固とした態度をとり始めたことは、反体制派からすれば明らかに革命にたいする裏切りである。「後ろ向きに」とは革命からの後退を意味している。

風車
 画面左奥に見える風車にはどんな意味があるか。これはルイ=フィリップが大革命時代、革命軍の士官として参加したヴァルミーの戦いを表している。1791年、立憲君主制を拒否したルイ16世はフランスからの逃亡を謀り、ヴァレンヌで捕まってしまう。これを知ったオーストリアとプロシアはルイ16世の復権と革命の正統性のなさを主張するピルニッツ宣言を発するが、これによって翌92年から始まるフランスの対外戦争の口火が切られ、同年4月20日、フランスがオーストリアに宣戦布告を行なう。8月18日になるとブルンシュヴィック率いるプロシア軍がフランスに侵攻する。しかし9月20日、騎兵連隊を率いたシャルトル公(当時のルイ=フィリップ)と弟のモンパンシエ公の参加する革命軍は、フランス北東部シャンパーニュ=アルデンヌ地方にあるヴァルミーにおいてプロシア軍を撃破する。

 この戦争は、革命直後でフランス軍の準備不足と指揮官不足(多くが貴族だった)によって苦戦が予想されていたが、フランス革命後初の軍事的勝利となった。ヴァルミーの戦いは軍事的というよりも政治的・精神的な意味合いが強く、革命精神の勝利としてフランスを勢いづかせる。これに力を得た革命派は、王政の息の根を止め、第一共和政の樹立へと向かうのである。この戦いに歴史の転換点を感じたゲーテが「ここから、そしてこの日から世界の歴史の新しい時代が始まる」と述べた所以である。また11月6日にはフランス国境にほど近いベルギーのジェマップにおいてもフランス軍はオーストリア軍に勝利している。

 国王ルイ=フィリップにとってヴァルミーとジェマップの戦いが重要だったのは、この記念碑的勝利に自らが大きく貢献したことだ。それは自分が革命の子であることを示す絶好の機会だった。1826年にオラース・ヴェルネ(1826)が描く「ヴァルミーの戦い」に続いて、国王はエロワ・フィルマン・フェロンに「ヴァルミーにおけるシャルトル公」(1847)を、アンリ・シェフェールに「ジェマップの戦い」(1834)を注文している。
オラース・ヴェルネ「ヴァルミーの戦い」(1826)
エロワ・フィルマン・フェロン「ヴァルミーにおけるシャルトル公」(1836)
アンリ・シェフェール「ジェマップの戦い」(1846)

 風車は、ヴァルミーの丘にあった有名なサン=ソーヴの風車で、フランス軍の勝利を表す象徴となっていた。現在のヴァルミーには2005年に復元された風車が立てられている。

現在のヴァルミーの風車
 諷刺画では、ことあるごとにヴァルミーへの参戦を誇らしげに語るルイ=フィリップをからかって、風車を国王のアトリビュートとしている。たとえば「フェルト」の項に掲げたシャラントン病院のルイ=フィリップは服の飾りにもそれは見られる(I-4 「なぞなぞ」(2))。また、1834年2月8日号の『シャリヴァリ』では、国王を鸚鵡に見立てて、止まり木に「ヴァルミー」「ジェマップ」の文字を書き込んでいる。いうまでもなく、彼が鸚鵡のように「ヴァルミー」「ジェマップ」と繰り返してばかりいることをあてこすっているのである。
『シャリヴァリ』1834年2月8日号


(この項、終わり)

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