2014年5月25日日曜日

I-5「コンデ公、謎の自殺」(2)

 タレーランにはフーシェール男爵夫人に近づきたい理由があった。復古王政になって、彼のナポレオン時代の行動、特にアンギャン公の処刑が問題となったからである。すでに述べたようにアンギャン公はコンデ公の一人息子である。1804年、バーデン=バーデンに亡命していた彼は、統領政府の第一執政ナポレオン・ボナパルトの暗殺計画に加わった嫌疑で、越境したフランス軍に捕らえられ、3月にヴァンセンヌで銃殺された。

 アンギャン公殺害の指示を出したのが誰なのか正確にはわからないのだが、首謀者のひとりがタレーランだという説が有力だ。ナポレオンも1809年に「アンギャン公逮捕の決断をさせたのはタレーランである。わたしはそんなことは考えてもいなかったのだ。彼がライン川沿い[バーデン=バーデン]に滞在していることなどまったく大したことでないと思っていたし、彼をどうしようという計画も持っていなかった」と述べている。
アンギャン公の肖像

逮捕されるアンギャン公

ジョブ『銃殺班を前にしたアンギャン公』

 タレーランは、コンデ家の最後の末裔であるアンギャン公を亡き者にして、ナポレオンに敵対する王党派の士気を挫こうとしたらしい。ところが復古王政になると、王家に連なるアンギャン公の処刑に関わったことが彼の政治的立場を危うくしかねなかった。そこで、タレーランは第一復古王政が始まる1814年に、関係書類をすべて破棄している。さらに彼は事件との関わりをこう説明し始めた。1804年にアンギャン公逮捕の計画を知るとすぐ、彼の元に危険が迫っていることを知らせる手紙を送ったのだが、残念ながら間に合わなかった、と。彼はことの真相をアンギャン公の父コンデ公に伝え、理解を求める必要があった。こうしてタレーランは、フーシェール夫人を成り上がり女と内心馬鹿にしながらも、彼女を厚くもてなして喜ばせ、コンデ公との面会をうまく取りつけた。そしてコンデ公に、自分は処刑事件に関わっていないばかりか、なんとかしてアンギャン公を救おうとした、と力説したという。

 一方、フーシェール夫人にとっても、タレーランと親しくなることにメリットがあった。彼をとおして夫人はオルレアン公(後の国王ルイ=フィリップ)夫妻と親しくなって、ルイ18世の宮廷に上がることを望んでいたからだ。はたして彼女はうまく宮中に出入りすることができるようになった。しかし気性の激しい夫人はある日、夫婦喧嘩をしたとき腹立ちまぎれに、実は自分がコンデ公の愛人であるという事実を夫にぶちまけてしまった。6年間のあいだ騙されていたフーシェール男爵が怒って真実をあちこちで言いふらしたため、ルイ18世はソフィーを宮廷から閉めだしてしまった。

 その後、一時期ソフィーはイタリアへ別の男に逃避行をする。この幕間劇ののち、再びタレーランとの関係が生まれるのは、1827年になってからのことだ。コンデ公は70歳を超えているのに、嗣子がいないばかりか、まだ遺言書もつくっていない。ソフィーはこのことに焦りを感じ、タレーランと組んでこの問題を解決しようとする。二人の利害は一致しているのである。ソフィーは、彼とオルレアン家の強力な後ろ盾によって自分の財産分与を確実なものとし、さらにふたたび宮廷に出入りすることを夢見ていた。またタレーランとしては、コンデ公の莫大な財産をオルレアン家に持っていきたいと考えて、ソフィーの影響力を利用したかった。

 では誰を相続人とするのか。血縁関係から言って、国王シャルル10世の孫で王位継承権を持つボルドー公アンリ・ダルトワ(1820年生まれ)がまず挙げられる。シャルル10世の子で王太子となるはずだったベリー公は同じ1820年に暗殺されていた。しかし当時、王位継承権を持つ者は私的財産を相続することができないという規則があり、ボルドー公は除外されてしまう。とすれば、オルレアン公ルイ=フィリップの五男ドーマル公(1822年生まれ)が考えられる。コンデ公はドーマル公の大叔父(コンデ公の妻がオルレアン公の叔母にあたる)であるし、彼は幼少時のドーマル公の代父を勤めているのである。

 コンデ公の財産のほとんどをドーマル公に相続させる代わりに、一部をフーシェール夫人に与えるという遺言書が、本人の知らぬ間に、タレーランとソフィーを中心にしてつくられていった。次にこの二人とオルレアン公夫妻が協力して、コンデ公を説得にかかる。自らの死を前提にした話が自分抜きで進められていたことにコンデ公は腹をたてたというが、それにしてもフーシェール夫人のなりふり構わぬ働きかけは凄まじかったようだ。愛情をかたにとった甘い懇願と脅迫めいた言葉、そしてたびたびの口論。親しい友人への告白によれば、コンデ公はこの愛人の執拗さにはほとほと閉口したようだが、70歳の彼には、もはやソフィーとの生活を精算する気力は残っていなかった。

 こうして根負けしたコンデ公は、1829年ソフィーに与えるサン・ルー、ボワシー、モンモランシーの城と領地などの不動産と現金200万フラン(現在の貨幣価値で20億円)のほかは、すべてをドーマル公に譲る遺言書にサインをしたのだった。またソフィーの宮中伺候についていえば、オルレアン公の強力な働きかけによって、シャルル10世は1830年1月に、ソフィーの参内を禁止した前王ルイ18世の決定を撤回した。ソフィーの夢はかなったのである。

 ところがこれで終わりではなかった。30年7月に革命が起きて、民衆の暴動や恐怖政治の再来を恐れるコンデ公の心は激しく揺れ始める。彼はイギリスへの亡命を本気で考え始めたのだった。しかも、王家の傍系であるオルレアン公が、ブルボン本家のシャルル10世をイギリスに追い払うかたちで国王の座についたことを、同じ一族であり、王位の正統性を重視するコンデ公がどう思っただろうか。ソフィーとルイ=フィリップの心配はそれだけではなかった。シャルル10世が玉座から追われるということは、孫のボルドー公が王位継承権を失ったということであり、ボルドー公がコンデ公の相続人となる可能性が浮上してきたことを意味する。ソフィーと国王ルイ=フィリップはコンデ公が遺言書を書き換えることを恐れていたのだった。事実、国王はコンデ公の亡命を「どんな対価を払っても」(à tout prix) 思いとどまらせなくてはならない、とソフィーに書き送っている。そして8月27日のコンデ公の「自殺」が起きる。

 その後の事件捜査では、フーシェール夫人に嫌疑がかけられたものの、結局コンデ公の死が犯罪性を帯びていることは証明できず、彼は自殺したと断定された。当時の警察は聞き取り調査が中心で、現在のように客観的な科学捜査ができたわけでもなかったし、また捜査が長引けば7月王政政府にも累が及びかねないので、嫌疑不十分で事件は幕引きとなったと思われる。このように書くといかにも故殺が隠蔽されたかのように思える。しかしルイ=フィリップの手紙のことば à tout prix にしても、取りようによっては軽くも重くも、いかようにも解釈できることばであって、結局事件は闇のなかである。

 ついでに言えば、自殺説、他殺説のほか、もうひとつ別の説もあった。それはコンデ公とフーシェール夫人が首を締めて性的快楽を得る危ないプレイをしていて事故が起きたという説である。若いときからコンデ公の退廃的な性生活は有名だったようで、毒舌で有名なボワーニュ伯爵夫人は「女性にたいする彼の強い関心は、彼がサロンでの集まりを毛嫌いしていたことと相まって、まっとうな生活というにはあまりに程遠い暮らしをすることになった」と述べている。だが当時の貴族の性的放縦はよくあることで、コンデ公が特殊な例というわけでもない。性的遊びの度が過ぎて死んだという説は面白いが、それこそ証明不可能な説だろう。

 決定的証拠がないコンデ公の「自殺」はいくらでも憶測が可能な事件であったし、時の国王が絡んでいることで、さらに人々の好奇心は刺激された。この機会に、ルイ=フィリップを王位簒奪者と考える正統王朝主義者たち、そして革命を横取りされたと感じている共和主義者たちはこぞって、「金の亡者」ルイ=フィリップが裏で糸を引いて、コンデ公を殺害させたと喧伝した。I-3 「なぞなぞ」(3)で首に紐がついているのはそういうわけなのである。

 最後にこの事件の後日譚を紹介しておこう。事件後、フーシェール男爵夫人は表舞台から身を引いた。それと同時に、自らにとって忌まわしい思い出の場であり、また詮索好きの目が集まるサン=ルーの城館を、彼女は更地にして分割売買してしまった。1837年に帰国したソフィーはロンドンで慈善事業に精力を注ぎ、1840年に亡くなっている。

 また莫大な財産を相続したドーマル公は、2月革命後、亡命中のイギリスで「歴代コンデ公の歴史」などの歴史的な著作を発表したり、第三共和政下に下院議員も務めたりした。そして有名なコレクターでもあった彼は、1884年にシャンティイと蒐集した美術コレクションをフランス学士院に寄付している。ドーマル公は1844年に両シチリア王国の王女マリ=カロリーヌ・ブルボンと結婚し、7人の子どもをもうけていたが、84年の段階で彼には財産を引き継ぐ妻も直系の子孫もいなくなってしまっていたのである。いずれにせよ、今あるシャンティイの城とあの美術館が残っているのはドーマル公のお陰ともいえるだろう。

1840年18歳のドーマル公

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この項を書くにあたっては、Dominique Paladilhe, Le prince de Condé, histoire d’un crime, Pygmalion, 2005 などを参照した。
 
(この項、終わり)

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