次はもうひとつのテーマ、埃を見てみよう。図版8(『シャリヴァリ』1850年6月28日号)では、マカダム舗装によって舞い上がる埃で服が真っ白になってしまった男が「ブールヴァールを散歩してごらんなさいな、こんなもんじゃありませんよ」と言っているが、ドーミエはブルジョワの服装の定番といってもよい黒服に降り積もる白い埃をモノトーンの対比でうまく描いている。このすごい埃は右奥に見られるように通りの見通しもきかなくなるほどあたりに舞い上がっているのである。
図版8 |
こうなれば交通の危険も増すというわけで、ドーミエの想像力は新たな規制を生み出す。図版9(『シャリヴァリ』1850年7月19日号)のキャプションには「警視総監の新たな政令ー事故を防止するために馬車と騎馬は今後、マカダム舗装されたブールヴァールを通る場合は、接近を歩行者に知らせる大型の鈴を装備しなくてはならない」とある。すでに見たように大通りの交通量が急激に増え、横断するだけでも「中央アフリカの人喰い人種のなかを探検するよりももっと危険な企て」だった。版画にも見られるように、埃で先の見えないなかを大きな鈴をつけた馬車や騎馬がひっきりなしに通行している。
図版9 |
さきほど竹馬で打撃を受けたかわいそうなガレット屋の主人は、埃によってさらに追い打ちをかけられる。彼は、隣の店の人たちと同様に、店先に並べたガレットに降り積もる埃を始終叩いていなければならなくなってしまう。(図版10、『シャリヴァリ』1850年7月11日号)
図版10 |
この埃についてのドーミエの空想はとどまるところを知らず、ブールヴァールの生活環境の悪化が悲劇をもたらすというところまでいってしまう。図版11(『シャリヴァリ』1850年7月12日号)はマカダム舗装の結果を描いたもので、6か月後にはブールヴァール沿道の家主たちを絶望させるだろう、というのである。版画の中央には、為す術なしと腕組みしたり、どうしていいかわからず頭をかきむしったりする家主が描かれている。なぜかというと、建物のいたるところに「貸しアパート」だの「貸し店舗」だのと書かれた貼り紙が貼られていることからもわかるように、埃がひどくて店舗は立退き、借家人は逃げていってしまったのである。右上には、絶望のあまり飛び降り自殺をはかった家主までが見える。
図版11 |
このようにマカダム舗装は、馬車や騎馬の快適な走行、騒音軽減、メンテナンスのしやすさ、というメリットがある一方で、埃や泥というデメリットもあった。最後にこの舗道のありさまをオスマンはどう見ていたのかを、簡単に記しておこう。セーヌ県知事オスマンは1860年にパリ市議会に宛てて送った1861年度予算に関する覚書のなかでこの問題に触れている。
オスマンの提案
オスマンは、街路の舗道のやり方がパリの交通量の増大、とくに重量車の激増などの現状にあわなくなってきた点を指摘したうえで、砂岩や斑岩を使った舗装、急速に数を増やしているマカダム舗装、そしてアスファルト舗装など、さまざまな舗装方法を比較衡量している。オスマンは(すでに上で挙げたような)マカダム舗装の利点と、埃や泥などの健康面の問題と経済的なデメリットを挙げている。彼によれば、従来の砂岩の舗装では1平方メートルにつき年間48サンチームの維持費用で済むものが、マカダム舗装では1平方メートル年間3フランと、砂岩の6倍の費用がかかる点を強調している。
そこで彼が推しているのはアスファルト舗装である。彼によれば、この方法は初期費用がかかるものの、維持費用があまりかからない。さらに埃や泥を出さないから、表面を洗浄するだけで清潔に保つことができることを指摘している。しかし一方で、アスファルト舗装は馬車がスピードを出すと、車が滑りやすい。またアスファルトは圧力をかけて薄く延ばせる性質を持っているために、車の通行によって摩耗しやすいという欠点も明らかにしている。この覚書でオスマンは、最終的にはアスファルト舗装を好ましいと考えているが、解決すべき問題もあり、これからの検討課題だと、慎重な姿勢を崩していない。
以上のように19世紀の都市において道路の舗装は改善されつつあったものの、多くの課題を残していた。マカダム舗装の諷刺は、この舗道問題解決をめざす試行錯誤と深く結びてついていた。
[この項追わり]
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